批評特集 歌集紹介
佐田公子 歌集 『さくら逆巻く』
角川学芸出版(平成23年9月刊) 新輯覇王樹叢書第216篇

拙歌集『さくら逆巻く』(新輯覇王樹叢書第216篇 角川出版 平成23年9月7日)に対して、皆様から様々なお 手紙を頂き、他結社誌でも書評を賜わり有難うございました。本歌集の批評特集はしないつもりでしたが、長野義和氏から、書評に匹敵する書簡を頂きましたので、長野氏のご了解を得て、ここに書簡体のまま掲載させて頂くことに致しまし た。 (佐田公子)


◇ 佐田公子歌集『さくら逆巻く』書評
   長野 義和(香蘭)
 このたびは、『さくら逆巻く』を拝読させていただき、ありがとうございました。今風に申し上げれば「ガチンコ勝負」の歌集と思 いました。魂の格闘の記録です。人の哀しみ、絶望、喜び、希望はどこにあるのか、さまざまなことを考えさせられました。
・病棟に担ぎ込まるる子の声の耳に響きてへなへなと座す

 強烈なインパクトを受けました。入院に抗う声、その悲鳴、絶叫は作者の心をぼろぼろにしたに違いありません。ここから作者の心の彷徨が始まります。子を強制入院させた罪の意識が作者の心を攻めます。

・表札を堂々掲ぐる屋敷町どの厨にも包丁がある
・傷つけず傷つけられず行儀よく包丁居並ぶデパート五階

 昔から家並みで大きな家が建ち並ぶ、所謂 「屋敷町」。大概、表札が立派で、その家を象徴するかのように家の入口に掲げられています。その一つひとつの家にはそれぞれの血縁があり、しがらみがあり、事情があります。そして、厨には魚を、肉を切る包丁があり、その包丁を血縁、事情、境遇を断ち切るものとして、作者は捉えます。デパートに売られている包丁は、ショーケースの中にきれいに並べられ、それに見入る姿が想像されます。 包丁に見入る心は、何かを断つ願望を漂わせています。  作者の罪の意識、境遇を断ち切らんとする心は他者にも向けられます。

・アルミ箔スパッと切りぬ 断ちがたき縁を切つてくるるや仏陀
・シュレッダーに切り刻まるる尊厳死・尊属殺人の「尊」の字の赤
・剪定の鋏を(せな)に隠し持ち凌霄花に歩を進めをり
・わが裡を纏はりつける木星のしましま模様を斬る鋏買ふ
・ギロチンの刃が落ちるのを待てといふミッドタウンに眠れぬ地霊

  ここには、傷ついた心の彷徨があります。自らの力ではどうすることもできないことへの呪祖です。
 シュレッダーに切り刻まれる「尊」は子にとって作者です。果たして「尊」かという強い疑問と同時に切り刻まれる自分を想像して います。また、派手に咲き盛る凌霄花を呪い、その息を断つために鋏を手に隠し持つ、纏わりつく我が宿命を切るための鉄を求める、ひりひりした心が写されています。その病んだ魂は、ミッドタウンの地霊と交信します。現代の都市を象徴するミッドタウンのビルがギロチンによって裁断されるのを待つ地霊をも幻想させます。

・虚無僧の吹く尺八の懐しや子を産みし過去を笠に被せむ
・墓原を渡れる風の行方追ふ なうなうそこの白髪の媼
・夕茜われらをいづこに連れゆくや多摩川べりに残す靴跡
・バイパスを走る車の音澄める霜月晦日 灯のもとの闇
・わが死まで纏はりつかん母といふレッテル削ぐごと表札剥がす

  子を産んだという過去を封印することは、「母」の否定であり、その行先は、墓原、灯のもとに沈む闇です。その間に自ら突き進んでいこうとする心の闇が見えてきます。表札を剥がすことは世間から自分を消すということ、母のレッテルを削ぐために名前を抹殺するとは、何と哀しいことか。

・人間は繋がるものを好みをるホチキス・クリップ・セロハンテープ

 「切る」という思いとは別に「繋がる」ことを、一方で心は求めます。何の変哲もない歌のようではありますが、この見立ては、作者の心のありようを映し出し、本歌集を読み解くひとつのキーワードです。彷徨する心は亡き父母との繋がりを求めます。

・気だるさの蕩けゆくごと眠り初む父母の還れる仏間にあれば
・荒川に架かれる土橋を渡りゆく若き亡父の麦藁帽子
・血縁とは何かと間ひつつ父母の墓のみ巡り掃き清めをり
・父母のいまさぬ実家 膝抱へ丸める(せな)はコリコリと鳴る

 心の安住の時、場所はどこにあるのでしょうか。作者は身巡りの物事ではなく、眼に見えないものを見、聞えないものを聞いて、孤独の中にも安らぎを覚えます。膝抱え背を丸める子を亡き父母が傍に寄り添います。

・破れたる芭蕉の陰に人を待つ 靜へばこそ人の恋しも
・妖気たつ春の宵闇灯篭の灯を細くして君を待つなり
・ざつくりとアケビの口は毛羽立ちて人恋ひ初むる香を放つ
・丈高き夏草の中 愛撫する女男(めお)に放りぬわが夏帽子
・しろがねの桜の精を胎に入れ いや果てむかな櫛削る夕
・子を()れて羊水に子を引き戻す さくら逆巻く 川面のさくら

 人を恋い、人を待つのは、破れた芭蕉の陰、宵闇の時です。そこは現実からあくがれる魂が繋がるにふさわしい時、場所でしょう。
 一方でアケビの口や香は生々しい情念を感じさせます。夏帽子は愛撫する女男への祝福でもあり、また、夏帽子を放つことは、そういう情念からの決別でしょう。こういった情念と決別した心と繋がりを求める心。そのことが一体となって、魂はからだの深部からの究極の繋がりを求めます。それは、しろがねの桜と交わり、その精を取り込むために髪を梳く女となります。そして、その胎に子を引きもどし桜の精と重ね、子と我の魂は桜花びらとなり、絶望の川は艶やかな無数の輝く桜で埋め尽くされます。
 この二首が、この歌集のピークではないでしょうか。現実を詩の世界で断ち、断ち切った後に、女の情念(母性)の中で新たな繋がりと再生を創造したと思うのです。  歌集は、子への愛、わが身を憂う、郷愁といったところからほど遠いところにあります。子との繋がりを断たざるを得なかった、心のうちの壮絶な格闘が詠まれ、佐田公子の心の彷徨の記録です。そして、読み解くキーワードは「切る」と「繋がる」です。
  平成二十三年十一月二十九日  長野 義和

追申
 私は、キリスト教や聖書の理解者ではありませんが、歌集を読む中で、ふと旧約聖書の『ヨブ記』が心に浮かびました。神を信じているにもかかわらず、様々な試練の中でヨブの魂は彷徨する、その記録です。ヨブは神を怨み、異議を申し立てます。神への信頼と答えない神への不信です。ヨブの記録は、人間の根源的な悲しみ、苦悩の証言だと思います。
  平成二十三年十二月八日 長野 義和

書評―覇王樹平成24年3月号転載


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佐田公子歌集 『さくら逆巻く』
佐田公子歌集
『さくら逆巻く』
題字 佐田 毅

・コンビニの赤飯握りを爆弾と言ひ張り買はず棚に戻す子

・牛蛙鳴かざる夜は今秋の生殖器みな閉じたるごとし

・子を離れて羊水に子を引き戻す さくら逆巻く 川面の桜

・丈高き夏草の中 愛撫する女男に放りぬわが夏帽子

・口借しや 海に呑まるる人の魂 黙せる天に拳を握る
 (帯より)